「当たり前」と思われる「強化機能」

行動分析において「罰」の反対は「強化」と言います。
強化とはどういうことを表すかというと、
「自分が起こした行動の後に良いことが起こる」
「自分が起こした行動の後に悪いことが無くなる」
と、「行動が維持、もしくは増加する」
というものです。
強化を促す物や事(刺激)を強化子といって、
いわゆるご褒美などが代表例として挙げられると思います。
(そうでは無い場合もあります、ここでは便宜上「強化子=ご褒美」とします。)
私たちの行動でも、好きなもの、興味のあるものというのは、
「何かを得るために行なっている行動」が多いのです。
スポーツであれば、
自らの高揚感が強烈な強化子になり、
相手に勝つことが強化子になり、
表彰をして周りから称賛されることも強化子となるでしょう。
それ(強化子)があるから多くの困難にも耐えられるのです。
何かを作り上げる仕事であれば、
完成したときの満足感が強烈な強化子になっています。
それ(強化子)があるから製作過程の辛さも耐えることが出来るのです。

ところが、何かを獲得させる様な場合、
例えば宿題をする行動を増やしたいときに、
「何をしてるの?早く宿題をしなさい!」
と激しく促します。
その後しっかりと宿題をしたにも関わらず、
「本当にちゃんとやったの?」
「なら今度はこれをしなさい!」
などのアプローチは、適応行動を獲得をさせるのに、
強化ではなく、罰を使っていることになります。
結果、行った行動(宿題)は得にはならないと「随伴」され、
宿題のしない子どもが出来上がります。
本当に獲得をさせ、その行動を維持させたいのであれば、
宿題をした後に「よくやった!」と褒め(強化)し、
「おやつ」などの具体的な強化子をあげたら良いのです。
これはあまりにも当たり前のことなのです。
この事を言うと
「そんなことはわかっているのだけども、その場にいるとどうしても叱ってしまって…」
「当たり前のことだけど、なかなか出来ないものですよ」
というセリフを自嘲気味に言われることをよく聞きます。

しかし、「罰」を使ってしまうのは、
子育てが出来ない、どうしようもない親だからというのではなく、
ごく普通によくあることなのです。
実は、そこにも行動分析上のプロセスが働いています。
やらせたい行動に対して、
親が子どもに「罰」を使ってしまうのには、
行動分析上、ちゃんとした理由があります。

そこには

「親が受ける強化」が関係してくるのです。


(続く)


小野