大人が受ける強化

強化には、罰とは全く違う効果があります。

それは「強化は即座に効き目はない、しかし継続性がある」

というものです。

学習の機会を考える際に効率の良いのは、罰ではなく強化があるのは

この継続性があるためです。

ところがこの強化ですが、一つ問題点があります。
それは「罰ほど即座に効き目は無い」ことです。
強化は罰の様に急激に反応をするものではなくジワリと効果が上がっていくものなのです。
そしてまた、親の側に立つと、親も勿論人間で親にも強化機能が働きます
そうすると、人間または生物として、即効性があるものと遅効性のもの
どちらに引き寄せられてしまうのでしょうか?
勿論、親が魅力を感じるのは「即効性」です。
親は即効性があるものから即強化を受けることになります。
親は遅効性があるものからは即強化を受けることができません。
なので、
「コントロールする側(親や先生)は早く効く「罰」に流れてしまいがちである」
これが問題点なのです。

例えば廊下を走る生徒がいるとします。
その生徒に対して
「走るのをやめなさい!!」と先生が言ったとします。
生徒は即座に走るのをやめます。
即座に効くので、先生は同じように廊下を走る子どもがいると、同じように
「走るのをやめなさい!!」と言います。

これが子どもたちに対しての罰コントロールです。

また、「即座に反応をする生徒」がいるため、
先生の生徒を叱るという行動そのものが強化されているのです。 
ところが、その罰刺激を受けるうちに子どもは
「走るのをやめなさい!!」という刺激に慣れていきます。
その結果「走るのをやめなさい!!」という刺激を先生が送っても、
子どもたちは走るのをやめようとしなくなります。
また、回避や逃避という行動で罰刺激を避けようとする行動も出てきます。
例えばその先生が居ないところで走ったりする行動がそれです。
こうなると、元々危ないから走るのをやめさせようとしていたのが
隠蔽までを促すことなってしまい、結果、悪い方向に進んでゆきます。
これは罰コントロール下では決して珍しいことでは無いのです。
そして最終的に大人たちは、
「廊下を走るのを抑制する」というのが本来の目的だったにも関わらず、
「最近の子は言うことを聞かない、親の躾が悪い」
と当初の目的を見失ってしまい、解決とは程遠い解釈をして
この問題は大した成果も出せずに終わってしまいます。

走る子どもへの注意は適当にしておき、
走らない子どもを見て
「走らないってのはすごいなぁ」
「足音立てずにってのはすごい能力だよね、カッコイイ」
「走らなかったね、飴をあげよう」
「先生が10日走らない人を見なかったら、1時間好きにしても良い自由時間をあげよう」
「みんなでお互いに走らなかった人の表にシールを貼ってあげよう。たまったらその人にご褒美をあげます」
という「強化機能によるコントロール」をしようとします。
その効き目は子どもによって様々ではありますが、
結果的には「静かに廊下を歩く」ということを学習することが
罰コントロールより形成されやすいのです。
強化はそれぞれで、何がその子に対しての強化になるかを探すのは
その指導者自身の腕の見せ所になる訳です。
そのやり方等も、応用行動分析ではいくつかのテクニックが存在します。
(先に上げた強化の例は、かなりというか相当いい加減なものですが、
4番目と5番めは「トークンエコノミー」と言われているテクニックの一つです)
そしてまた、「廊下を走る」という行動への焦点もズレずに済むのです。

子どもの成長とは恐ろしいもので、健常児であれば些かの罰であっても
適当な消去、適当な強化を受けて社会に適応していくのですが、
(昨今これが覆り大きな社会問題になっている様に感じますが)
障がいを持つ子どもたちになるとこの部分があまりにも大きく、
一般的コミュニケーションでは「強化が効きづらい」ので
親は自然に「即効性のある罰」に頼りがちになってしまいます。
結果、障がいの上塗りをしてしまい、
「益々言うことを聞かない子・言うことを理解をしない子」が出来上がるのです。

だから、私たちは

「罰コントロールに走ってしまう気持ちはよく解ります。
けれども、罰コントロールでは続かない。」
「わたしたちの療育では、強化は即座には効き目が無く、お母さんたちは最初少々疲れる部分も
あるとは思いますが、継続するには無理がなく、良い影響が多々あります」

ということをまず理解して貰う必要があるのです。


小野